皆さまこんにちわ

東京の八王子で沖縄料理屋をやっている

沖縄そば専門店 和

渡真利です。

すっかり寒くなってきましたが、今日は日差しもさして気持ち良いです。

沖縄はまだ当然半袖です。

うらやましい(笑)

さてさて、今日は当店の名前である

『和(かず)』という名前の由来について書いていこうと思います。

 

まず初めに当店の歴史をちょっとだけ説明。

当店は創設者で初代代表である

『渡真利朗男』

が、今から12年前の2005年にオープンさせました。

知っている人が多いと思いますが、私の父親です。

父は18歳くらいの頃から、宮古島を出て東京に働きに来る前から何となく

『飲食店をやりたいなぁ』

とずっと思っていたそうです。

その時はお兄さんやお姉さんに反対されいったんは諦めたそうです。

父はそれからリフォーム業社で働くようになり、

独立し、会社の社長となりました。

(有)アキ企画(主に屋根の事でお困りなら)

それこそ朝も毎日5時前には起きて働き、

夜も帰るのが遅かったです。

幼いころに

『すげー働く人だなぁ』

と単純に思っていました。

自分はいわゆる

『バカ息子』

だったため、あまり親の苦労とかを分からず過ごしていました。

だから単純に

『あんなに働きたくないなぁ、楽できないかなぁ』

なんて思っていました(笑)

父の頑張りがあり、従業員数も増え、会社もいろいろありましたが何とか安泰。

ただ、自分は二十を過ぎて大学を卒業しても実家に住み、ぶらぶらしていました。

特にめちゃくちゃ不良というわけでもないですが、真面目でもなく、

人生なんも考えずに過ごしていました。

特に目標も無く、ふらふら過ごしていると、ある日突然父が、

『沖縄料理屋ってか沖縄そば屋をやる!!』

と言って周囲を驚かせました。

当然自分も驚きました。

『なんで突然?』

って聞くと

『やりたいし、やりたかったから!』

親父はバイタリティ溢れる人で、

人の言うことはあまり聞きません(笑)

周囲が

『今の仕事が安定しているんだからやめとけ!!』

って言っても

『自分の人生だ、好きなことをやる。文句を言うなら金を出せ』

と、意に介しませんでした。

そしてあれよあれよという間に12年前の9月、八王子の横川に

『沖縄そば専門店 和』

が創立されました。

僕も立ち上げオープンの頃からスタッフとして働かせてもらいました。

ただ、僕はフラフラフラフラしたバカ息子だったので、

今では信じられませんが料理なんて、カップラーメンくらいしか作れませんでした。

お米も炊けません。

もちろん、お店の料理なんてできません。

主にホールスタッフとして働いていましたが、

飲食店もあまり経験したことがなかったので

まったくの素人からのスタートでした。

右往左往しながら働いていましたが、あまりの使えなさに見かねたのか父が

『お前調理師学校行ってこい!!』

と言われ、オープンしてから半年ちょっとたった4月から

相模原の調理師学校に通い始めました

 

人と話すことは嫌いじゃなかったのと、

生来の天然と人懐っこさから

『接客業って面白いなぁ』

と思い、しかも調理師学校に行き、料理にもはまっていきました。

料理は本当に全くの素人。

逆にそれがよかったのか、料理も素直に学び(座学の授業中たまに寝ていたのは内緒)

作る喜びも覚えて来ました。

学校も1年間真面目(?)に行って卒業し調理師免許も取って

当然このままこの店で働くんだろうなぁと思っていたある日、

父からお店を離れるようにと告げられました。

『え!?なんで??』

と思って聞いてみると

『2年でも3年でもいい、サラリーマンでも調理師でもいいから違うところで働きなさい』

と言われ、お店を離れました。

調理師免許も取り、料理の楽しさも覚えて、自分にお客様もついてきていたので、

当然寝耳に水でした。

ただ父は言い出したら聞かないってわかっていました。

ということで僕は和を離れました。

最初は居酒屋に行ったのですが、

そこの居酒屋と相性が悪かったのか

飲食店の悪いところを見てしまい、

やがて飲食業からも離れました。

もともとパソコン関係の仕事をしていたので(ワード、エクセルの簡単なインストラクターをやってました)、

まぁ、無難にパソコンだろうと思い、

IT企業に就職してプログラマーを

3年ほどやっていました。

飽きっぽい性格なので、

プログラマー業にもだんだん飽きてきて、

ちょうど和で長く働いていたスタッフが辞めるとのことだったので、

30手前くらいでお店に戻ってまいりました。

それから何年かは親父と反発しあいながら、協力しあいながら働いて

お店を完全に任されるようになって5年目くらいで今に至ります。

 

まあそんなこんなで長くなりましたが、和の歴史ですね。

お店で働いていると、楽しいこともありますが、経営している分大変なこともあります。

まぁでも、楽しく元気にやっております。

 

そうそう、『和』って名前の由来ですよね。

 

やはり気になってる人も多く、

聞かれることも多くあります。

当然僕は創設者ではないため

名づけ親でもありません。

 

なので、僕も気になって聞いたことがあります。

そしたら親父は

『なごむとか輪って意味があるだろう、うちの店でみんながそうなってくれたら良いからだよ』

と言っていました。

僕も普通にそうなのかぁと納得していました。

 

ただ『和』っていう名前には実は他の意味も込められていました。

 

親父が店に立たなくなり、自分がお店の主となって少しした時、

親父と仲の良いお客様が教えてくれました。

 

『和』というお店の名前は、貴方達子供の名前から取っているんだと

※僕は和也・弟も和希というので。

その貴方達が、『和』というお店とともに愛されて、

お客様と一緒に輪を作り、

和み幸せに生きていくようにという意味で作ったそうです。

 

そうか。

そう意味があったのかと思いました。

 

『和』という名前は確かに沖縄を想像しずらい。

『メンソーレ』

とか

『琉球泡盛アイランド』

とか沖縄を安易に想像させる名前の方が、

イメージしやすいかもしれませんね。

 

ただ、『和』という名前を親父が付けてくれたおかげで

僕は大変ながら、幸せな人生を過ごしています。

 

「和、これ美味いじゃん!」

「和君、遊びに来たよ!」

「和さん、滑ってるよ(笑)」

などなど。

僕の名前と相まって、皆さまがここで和んで、僕やお客様通しも繋がって輪となり、

お店とともに愛されていると感じます。

そしてお店に来ていただくお客様を私は愛しています。

お店を通して心強い仲間も出来て、友達もたくさんできました。

 

だからこの名前を付けて、チャランポランでアンポンタンだった僕をお店で働かせてくれた

親父に本当に感謝しています。

実は僕と親父は血がつながっていない。

自分は母親の連れ後で、

小学生の時に東京にいる親父と結婚をして

沖縄を出て東京に出てきた。

血がつながっていない息子を

ここまで愛してくださりありがとうございます。

父親として、男として尊敬します。

 

なかなかいない凄い男だと素直に思う。

 

12年間という歳月は短いのか、長いのかまだわかりません。

ただ、12年間という歳月が『和』という名前のイメージを作り上げてきたことは間違いありません。

 

これからも、『和』というお店を、そして渡真利和也という人物を温かい目で見守ってくださると、

嬉しく思います。

そして『和』という名前とともに愛され成長し、皆様の心に根付いていきたいと思います。

 

その為にはもっと努力しなきゃね(笑)

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